白瀬中尉終焉の地碑

昭和21年に白瀬中尉は挙母で没している/しらせちゅういしゅうえんのちひ
開催場所:
白瀬中尉終焉の地碑
471-0028 愛知県豊田市神明町2丁目
駐車場:
駐車場マップ:
白瀬矗(しらせのぶ)中尉は秋田県にかほし市(当時の由利郡金浦村)の浄蓮寺の長男として1861(文久元) 年に生まれ、11歳のとき、蘭学者佐々木節斎から「北極」の話を聞き、探検家を志す。軍人となった白瀬は明治26年、北極探検の前哨として千島探検に参加。最初は北極探検を目指したが、アメリカの探検家ペアリーの北極点到達を知ると計画を南極に変更。明治43年11月28日に「開南丸」(204t) で東京芝浦埠頭を出港し明治45年1月25日に南緯80度50分に到達し、周辺一帯を大和雪原(やまとゆきはら)と命名する(実際には大陸ではなくロス棚氷の上であることが後に判明)。昭和21年、全国講演とさすらいの旅の途中、愛知県挙母町(現・豊田市)の鮮魚店「魚十分店」で腸閉塞(または栄養失調)のため白瀬中尉は没する(豊田市神明町2丁目には白瀬中尉終焉の地碑が立つ)。