長篠設楽原古戦場・馬防柵再現地

連吾川に築かれた柵を再現/ながしのしたらがはらこせんじょうばぼうさく
開催場所:
長篠設楽原古戦場・馬防柵再現地
441-1305 愛知県新城市竹広
駐車場:
100台(新城市設楽原歴史資料館駐車場)を利用し徒歩で
駐車場料金:
無料
駐車場マップ:
武田軍のは精鋭の騎馬隊を誇ったが、武田軍を上回る軍勢で攻める織田・徳川連合軍は、鉄砲3000丁などを用意し対抗した。設楽原中央を流れる連吾川の西岸には馬防柵を2kmに渡って築き、武田騎馬隊の侵入を防いだ。信長は岐阜を出発する際、足軽雑兵に至るまで柵木と縄を携行させていた。連吾川から10mは沼地だったため、沼の西側に作られた田圃の畦(あぜ)に持参した柵木と縄を使って二重三重に柵を築いた。付近の農家を買い取り、畳は柵の下部に置いて矢を防ぐという用意周到さをみせた。しかも各陣地前には空濠を掘り、土塁を築いて武田軍に備えた。信長が野田城を出発し、設楽原で布陣に取りかかるのは5月18日。翌19日には馬防柵が完成しているので手際が良かったことがわかる。武田軍は、この19日に軍議を開き、馬場、内藤、山県らの諸将は退却を進言するが、勝頼はこれを退ける。連吾川沿いに馬防柵再現地が造られているので「柵の木三重まであれば、城攻の如くにして、大将ども尽鉄炮にあたり」(『甲陽軍艦』)という柵を見学したい。【古戦場】【織田信長】《徳川家康》《武田信玄》