長久手古戦場公園

小牧・長久手の戦い主戦場跡/ながくてこせんじょうこうえん
開催場所:
長久手古戦場公園
480-1121 愛知県長久手市武蔵塚204
駐車場:
49台(長久手町郷土資料室12台、公園西側37台)
駐車場料金:
無料
駐車場マップ:
アクセス(車):
東名高速道路名古屋ICから2km
営業時間:
入園自由
織田信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康が覇権を争って戦った小牧・長久手の戦いの主戦場・長久手古戦場仏ヶ根跡を公園として整備。長久手合戦では家康軍が勝利を収め、秀吉軍には多数の戦死者(両軍の死者は秀吉軍2500人、家康軍550人と推定されている)が出た。国の史跡にも指定されている。秀吉軍の武将・池田恒興の戦死した地に勝入塚(次男の輝政は生き残り、後に家康に仕える)、岐阜城主・池田之助(いけだゆきすけ=池田恒興の長男)の戦死地に庄九郎塚、森長可の戦死地に武蔵塚がある。北に1kmほどの色金山歴史公園には家康が合戦時に腰掛けて軍議を開いた床机石も残るほか、西に将兵が刀や槍を洗ったという血の池公園、常照寺には三将(池田恒興、池田之助、森長可)の墓もある。岩崎城の戦いで勝利し一帯に布陣した秀吉軍の軍勢は池田之助・輝政4000人(田ノ尻)、森長可3000人(岐阜岳)、池田恒興2000人(首狭間)。迎え撃つ家康軍は徳川家康3300人、井伊直政3000人、織田信雄3000人。森長可が家康軍の先陣・井伊直政軍の銃弾に倒れ、戦況は秀吉軍の敗北へと傾いた。勝利した家康軍は、すぐに小幡城へと引き返している。激戦の地、岐阜岳は現在、喜婦嶽(きぶだけ)という地名・交差点名として残されている。【日本の歴史公園100選】【徳川家康】【豊臣秀吉】【古戦場】