清洲城

信長ゆかりの尾張の名城/きよすじょう
開催場所:
清洲城
452-0932 愛知県清須市朝日城屋敷1-1
駐車場:
120台(清洲城駐車場)
駐車場料金:
無料
駐車場マップ:
アクセス(車):
東名阪自動車道清洲東IC、または名古屋高速道路清洲ランプから5分
アクセス(電車):
JR清洲駅、または、名鉄新清洲駅から徒歩15分
営業時間:
9:00~16:30(入館は14:15まで)
休業日:
月曜(祝日の場合は翌日)、12月29日~12月31日休
料金:
大人300円、小・中学生150円
TEL:
052-409-7330
詳細情報:
http://www.city.kiyosu.aichi.jp/index.html
中世に尾張国守護所があり尾張の中心地だった清須(清洲)。1555(弘治元)年に織田信長が那古野城(なごやじょう=名古屋城の前身)から入城し、この清須を拠点に尾張統一を果たし、天下布武への足がかりを築いた。今川義元を討った桶狭間(おけはざま)の戦いにもこの清洲城から出陣している。1562(永禄5)年には徳川家康を迎えて清洲同盟を結んでいる。清須は、天守を中心に東西1.6km、南北2.8kmにも及ぶ巨大な郭域都市を形成し、江戸時代初期には「天下の名城」と讃えられた。城下には6万人が暮らしたという。徳川家康は、1610(慶長15)年に清須城(清洲城)廃城と名古屋城築城を命じ、城下ごとの移転という「清須越し」が行なわれる。三谷幸喜の小説・映画の『清須会議』は、本能寺の変で信長没後の1582(天正10)年、後継者を決めるために清洲城で開かれた会議。集まった織田家家臣は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人で、滝川一益は関東地方へ出陣中で欠席。秀吉は、信長の嫡孫にあたる信忠の嫡男・三法師(織田秀信)を擁立に成功する。次男・信雄は尾張国を、三男・信孝は美濃国を相続し、秀吉は山城国を保有した。清須会議で柴田勝家との対立が決定的となり、翌年の賤ヶ岳の戦いにつながる。以上が物語的な清須会議で、実は会議における秀吉の三法師擁立を裏付ける史料はなく、実は中立だったというのが史実。残念ながら清須会議当時の清須城がどんなものだったのかはわかっていない。現在の天守は平成元年に完成した復元天守。内部は博物館になっていて、秀吉、一豊などの武将が暮らした城下町の解説など興味深い展示がされている。ちなみに模擬天守が建てられた場所と五条川の対岸の清洲公園・清洲古城跡公園がかつての天守跡。【織田信長】【豊臣秀吉】【城跡】【ミュージアム】
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清洲城管理事務所
電 話:052-409-7330