知立城址

知る人の少ない古城跡は公園に/ちりゅうじょうし
開催場所:
知立城址
472-0023 愛知県知立市西町
駐車場:
駐車場マップ:
アクセス(車):
伊勢湾岸自動車道豊田南ICから10分
アクセス(電車):
名鉄名古屋本線知立駅から徒歩10分
知立神社(知鯉鮒明神)の神主である永見氏が代々城主を兼ねていた館跡。「永見氏家譜」には13代・永見貞春が、保元・平治の乱に北面の武士(朝廷側)として出陣している。1560(永禄3)年の桶狭間の戦いでは、その直前に今川義元は知立城に本陣を置いている。義元が信長に討たれた後、敗走した今川軍を追った信長の攻撃を受け落城した。永見氏は29代の貞英まで続いたが、貞英の室は刈谷城主水野忠政の娘で、その子お万(長勝院)は家康の側室(結城秀康の生母)となっている。その後、16世紀後半に刈谷城主・水野忠重(徳川家康の叔父)が城跡に御殿を築き、江戸時代に入って増築された。池鯉鮒(知立)宿の中心にあるためその御殿は、将軍家の休息所となったが、1699(元禄12)年の地震で倒壊した。今では広場(児童公園)に城跡を示す碑が立つのみとなっている。東海道時代からの名物だったという大あんまきの藤田屋の本店も近くにある。【城跡】【織田信長】【街道】