桶狭間古戦場跡

信長が今川義元軍を破った地/おけはざまこせんじょうあと
開催場所:
桶狭間古戦場跡
470-1168 愛知県豊明市栄町
駐車場:
駐車場マップ:
アクセス(車):
伊勢湾岸自動車道名古屋南ICから10分
アクセス(電車):
名鉄名古屋本線中京競馬場前駅から徒歩3分
1560(永禄3)年5月19日、小勢の織田信長が今川義元の大軍を破った古戦場で国の史跡。東海道では池鯉鮒(知立)宿と有松宿の間に位置するが、両軍とも東海道を通ってはいない。1809(文化6)年、秦鼎の撰文により津島の神主・氷室豊長が建てた『桶峽弔古碑』に「永禄3年、駿侯西征のため、5月19日桶峽の山北に陣す、織田公奇兵を以って之を襲い、駿侯義元を滅す」の一文がある。2万5000の兵をもって2000の織田軍に敗れ、首を討ち取られた義元の墓周辺は小さな公園として整備されている。近くの高徳院境内に今川義元本陣跡があり、その背後の丘陵を信長は駆け下って奇襲したとも伝えられているが定かではない。一般に桶狭間古戦場といえば豊明市の中京競馬場前が知られているが、豊明の古戦場跡からひと山越えた西側の名古屋市緑区有松町桶狭間にも「桶狭間古戦場公園」がある。公園近くの長福寺の本尊は、今川義元の茶坊主・林阿弥が持参した阿弥陀如来像で境内には戦死者の供養塔もある。両者の距離は1kmないので、この一帯が合戦の地と考えれば問題ないが、名古屋市側の「桶狭間古戦場公園」にも今川義元戦死の地があり、本陣の位置はいまだに定かではない。雰囲気という面からいえば、「桶狭間古戦場公園」は、 土地区画整理事業で誕生した公園で、圧倒的に豊明の古戦場跡の方が雰囲気がある。合戦後に今川家の人質から解放され岡崎城に戻ることになる松平元康(徳川家康)は、先遣隊として大高城に兵糧を届け、桶狭間には布陣していない。【織田信長】【古戦場】《徳川家康》