清瀧寺

家康の長男・松平信康の墓所がある/せいりゅうじ
開催場所:
浜松市
431-3314 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1405
駐車場:
参拝者専用駐車場利用
駐車場料金:
無料
駐車場マップ:
アクセス(車):
新東名高速道路浜松浜北ICから約4.6km(10分)
アクセス(電車):
天竜浜名湖鉄道二俣本町駅から徒歩9分
営業時間:
境内自由
TEL:
053-925-3748
京・知恩院の末寺、本尊は阿弥陀如来。1405(応永12)年に長安坊がこの地に草庵を構えたのが始まり。1579(天正7)年9月25日、徳川家康の長男・松平信康は、妻である徳姫(織田信長の娘)に武田方に内通した嫌疑を掛けられ、織田信長の要求により幽閉先の二俣城で服部正成(半蔵)の介錯で自刃している。21歳という若さだった。遠州二俣には当時、浄土宗の寺がなく、草庵のあったこの地が埋葬地として選択された。1580(天正8)年9月には徳川家の菩提寺である三河国大樹寺(だいじゅじ)の一五世呑誉(どんよ)和尚を招いて本葬が営まれている。1581(天正9)年、徳川家康は、寺に参詣し、清水の湧き出るのを見て、寺名を清瀧寺と改め、信康に清瀧寺殿と諡(おくりな)を付した。境内には信康廟のほか、殉死した吉良於初、当時の二俣城主・大久保忠世、三方原で討死した中根平左衛門正照、青木又四郎吉継らの墓もある。境内にある二俣城の井戸櫓は、1572(元亀3)年、武田勝頼軍が、天竜川に大量の筏(いかだ)を流して水の手櫓を破壊し、落城させた際の水の手櫓。廃城ののちに清瀧寺へ移築され、明治時代に改築、さらに荒廃したため現存する櫓は昭和37年に再建されたもの。山門は1668(寛文8)年に建立された四脚門。江戸時代はこの門前に「下乘」の高札が建っており、馬をもって乗り入れることが許されなかった。ちなみに西念寺(東京都新宿区)は服部正成(半蔵)が開基した寺で、松平信康のために服部正成が建てたとされる供養塔が現存している。松平信康は殉死した家臣も多かったことから信望のある将で、内通は冤罪だった可能性が大きいことがわかる。【寺社】【徳川家康】《織田信長》

問合わせ・連絡先
清瀧寺
電 話:053-925-3748