二俣城

徳川・織田攻防の山城/ふたまたじょう
開催場所:
浜松市
431-3314 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣
駐車場:
城山公園駐車場(北曲輪北側)を利用
駐車場料金:
無料
駐車場マップ:
アクセス(車):
新東名高速道路浜松浜北ICから約4km(9分)
アクセス(電車):
天竜浜名湖鉄道二俣本町駅から9分
TEL:
053-452-1634
天竜川と二俣川に挟まれた文字通りの二俣の要害に建つ中世の山城。遠州二俣は信濃国(長野県)側から見れば遠州の入口で、舟運の拠点となる場所だ。戦国時代の初め、平地に笹岡古城を今川氏が築いたのが最初で、今川氏の家臣である松井宗信が山城を築いたと推測されている。今川氏滅亡後は、甲斐の信玄と結ぶが、徳川家康に攻撃され、降伏。その後は、家康と信玄の攻防の地となる。武田軍の遠州侵入が迫ると家康は譜代の家臣・中根正照を城主とした。1572(元亀3)年、武田勝頼軍は、天竜川に大量の筏(いかだ)を流して水の手櫓を破壊し、落城させる。武田軍は西進し、三方原の合戦となる。1575(天正3)年の長篠の戦いで織田・徳川連合軍が武田軍を破ると、その勢いで家康は二俣城を奪還する。1579(天正7)年には、家康の長男・松平信康が武田方に内通した疑いで、二俣城で切腹させられている。信康の遺骸は清瀧寺に埋葬されている。家康の関東移封に伴い堀尾吉晴が浜松城に入城、二俣城は支城となるが1600(慶長5)年に堀尾氏の出雲転封で廃城となった。現在は城山公園として整備され、遺構としては、天守台跡、野面積みの石垣や土塁が現存している。北曲輪の旭ヶ丘神社下の駐車場まで車で入ることができる。【城跡】【徳川家康】【武田信玄】

問合わせ・連絡先
浜松市観光インフォメーションセンター
電 話:053-452-1634