高天神城跡

武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を展開/たかてんじんじょうあと
開催場所:
掛川市
437-1435 静岡県掛川市上土方嶺向・下土方
駐車場:
100台(北口駐車場、搦手門側)/10台(南口駐車場(追手門
駐車場料金:
無料
駐車場マップ:
アクセス(車):
東名高速道路菊川ICから19分
アクセス(電車):
JR掛川駅からタクシーで30分
TEL:
0537-21-1149
掛川市の標高132mの台地にある中世の山城で国の史跡。甲斐を拠点とし、駿河(静岡県東部)を手にした武田信玄が西進し、上洛をはたすためには、遠州(静岡県西部)を制する必要があった。そのため中世には堅固な山城として名を馳せた高天神城は、たびたび決戦の地となった。今川家の滅亡後は徳川家の家臣となった小笠原氏の居城。最初の攻防は三方原の戦いの前年、1571(元亀2)年。信玄は2万5000の大軍で高天神城を攻撃するも、撤退。その後、武田勝頼の攻撃で小笠原氏助は勝頼に降伏する。対する家康は、長篠で勝利した勢いに乗って大須賀康高に命じて横須賀城を築き、1580(天正8)年、高天神城の奪回を図る。この城を掌握し、東への押さえとしなければ家康・信長の上洛も危ぶまれたのだ。兵糧攻めを受けた高天神城はついに落城、勝頼は援軍を送ることができず、このことから声望が下がり、その後の将兵の離反を生んだともいわれている。高天神城の城跡は、堀、土塁、さらには的場曲輪、井戸曲輪、丹波曲輪など曲輪の形状がわかるほどに残された貴重な存在。南側の追手門から東側の段丘面に武家屋敷があった。西の丸(丹波曲輪)には高天神城を守護する高天神社が鎮座している。追手門側に南口駐車場、搦手門側に北口駐車場があり、山城だけにハイキングのように城跡を探勝するコースが設定されている。【城跡】【武田信玄】【徳川家康】
問合わせ・連絡先
掛川市商工観光課
電 話:0537-21-1149