三方原古戦場(三方原古戦場碑)

家康が信玄に大敗を喫した古戦場/みかたばらこせんじょうみかたばらこせんじょうひ
開催場所:
浜松市
433-8108 静岡県浜松市北区根洗町784三方原墓園
駐車場:
浜松市営三方原墓園駐車場を利用
駐車場料金:
無料
駐車場マップ:
アクセス(車):
東名高速道路浜松西ICから12分
アクセス(電車):
JR浜松駅バスターミナルから遠鉄バスで36分、三方原墓園下車、徒歩すぐ
TEL:
053-452-1634
三方原(みかたはら)は、浜松にある台地。上洛を目ざす武田信玄軍2万7000と阻止しようとする徳川家康軍1万1000(うち信長軍3000)が浜松にある三方原台地で激突したのが1572(元亀3)年の三方原の戦い。1562(永禄5)年、家康は織田信長と清洲同盟を締結。1567(永禄10)年に信長は岐阜・金華山の稲葉山城を攻め落とし、岐阜城を築城。尾張・美濃を平定し肥沃な濃尾平野のすべてを手に入れている。これは西進を図る信玄にとっては非常に脅威で、1571(元亀2)年末に後北条氏との甲相同盟を回復させると駿河を確保し、遠州(静岡県西部)に大軍で攻め寄せる。家康の本拠である三河には信玄の配下である山県昌景が侵入。三方原の戦いでは遠州の兵力8000のみという家康軍(鶴翼の陣)は武田軍は魚鱗の陣に対してわずか2時間の戦闘で歴史的大敗を喫している。浜松城に逃げ帰る途中、家康は馬上で脱糞したほどで、あえて顰像(しかみぞう)と呼ばれる似顔絵を描かせて終生、この敗戦を戒めにしている。家康は浜松城の城門を開いて篝火を焚く「空城計」(くうじょうけい)を行ない、武田軍の追撃をかわす。浜松市営三方原墓園の駐車場の片隅に三方原古戦場碑が立てられてはいるが、碑面にもその場所は定かではないと記されている。三方原台地の北端ではなく、祝田坂あたりという説もあるのだ。浜松市博物館には明治18年に作成された三方原の合戦の錦絵『元亀三年十二月味方ヶ原戦争之図』も収蔵されている。【古戦場】【徳川家康】【武田信玄】《織田信長》
問合わせ・連絡先
浜松市観光インフォメーションセンター
電 話:053-452-1634